火天の城

最終日、駆け込みで見てきたけど…結論から言えば残念。
小説を読んでいただけに、なぜ脚本がこうなってしまったのかが不思議でしょうがない。
別に恋愛要素入れようが入れまいが構わないが、なぜ以俊を削ったのかだけは理解できない。
職人として成長していく面がこの物語のもう一つの筋でしょうに。
後は…又右衛門が人命を軽んじてると娘に言われるところとか?小説では以下のくだりが好きだっただけに尚更、残念。

「親父殿、どうするつもりでや」
又右衛門は答えず、安土山を見ていた。
「なぜなにも言わぬ。親柱が折れたのだぞ。あれでは、とても元の長さに継いだりできぬ。木曾でもう一本伐らせぬのならば、木組みをどうするか、一から考え直さねばならぬがや」
「やかましいぜがれじゃ」
「なんだと」
「やかましいと言うたのじゃ。杣頭がこの丸太のために亡くなったのだ。御霊に、しずかに祈ろうとは思わぬのか。木組みの話など、あとにせい」
「・・・・・・・・・」
「お前はまこと自分の都合しか考えぬ男だな」
以俊は折れた丸太ばかりに気を取られていた自分を恥じた。
「大通柱が三本あれば、天主はゆがまぬ。木組みの工夫などいくらでもできる。それより人ひとり死んだことのほうが、おまえは切なくならぬのか」

(注:安土築城のために木曾で4本の檜を見つけてきた又右衛門だが、木の切り出し(川流し)の際にその1本が折れる事故が発生、一緒に檜を見つけた杣頭はその事故で絶命するが、今際に「1本折れてしまって申し訳ない」と血塗りの手紙を書いて詫びて来る。3本では建てられないどうしようと喚く息子に対し、一喝する場面)
他にも寺の立ち退きで住職が斬られた際に、城のために人が死んだと腹を括る又右衛門の姿も書かれていたような…

まぁ、小説では又右衛門が職人として完成されている点と、映画では成長しながら進めていく場面でそのように脚本組んだんでしょうが、それもこれも以俊を削ったが故…なぜだ、理解に苦しむ。(見所の一つ、又右衛門の落下事故もこれで削除…うーむ)
職人の生き方と、家族愛という観点からも息子を娘にする必要はあったのか、今でも疑問。


後はラストの見せ場、木組み完了後に大柱を切るシーンだが、ここもなぜそうなったかをとばして来るので、普通に見ただけでは又右衛門が設計ミスって最後に皆の力で直しました、的な展開になってしまっている。実際は諸々あったものの順調に完成していたが途中で信長から急に壁を厚く重くしろという要求があり、それをなんとかのんだ結果、全体が沈んで親柱が飛び出るという事態が発生した流れ。順調に進んでいたらクライアントから納期直前に仕様変更を伝えられ、デスマーチ…的なイメージがぴったりのシーン。
この信長の要求も無理難題ではなく、鉄砲の進歩により壁を厚くする必要が出てきたと、刻一刻と必要とされているものが変化していく状況を映しているが、鉄砲のシーンはなぜか映画では一番前にあったりと話の流れが錯綜している。
なぜこうしたのか、わからない…



映画をみて、いまいちと思った方は原作の小説を読んでみられることをお奨めします。
秋の夜長にぴったりの、覚悟と成長と妨害と、プロジェクトに絡む非常に面白い本だと思います。