うみねこ散

年明け最初がこの話題、とはいえもうかなり経っている気はしますが。
仕事も一息ついたので一気に読み終わりました。
感想は…、すっきりしません。というのは多くの人がそうでしょうが、なんか引っ掛かります。
ep6で一つの読み物としてある程度のベクトルがあって、ep7以降は解答編という感じだったと思います。ep7は事件前の背景を描き、ep8では…と思っていたらep5〜6の話の流れに戻されて終わってしまいました。個人的にはep6の持って行きかたと〆の流れが自然だっただけに、ep8って何なんだろうという感じが強いのかもしれません。
全体的にはうみねこという世界観(猫箱?)を提示したんで、あとは好きに遊んでね、という話だった気がします。
私は祭囃しは楽しく読めた方ですが、今回のラストはどうにも違和感があります。
以降は愛のない山羊の独り言です。(ネタばれ)


個々の解に関してはたぶん示されないので置いておいて、ep8は何を示していたのでしょう。
ep7までが2日間への軌跡を書いていたので、ep8はその後(ep1〜6が出来る)を書いていると考えていましたが…(縁寿が中心なので一応その後?)
赤字も青字も金字も全体の流れに対して有効なのかはよくわからないので未来という結論が出ているものから挙げていく…と。

・絵羽は生きている。
・絵羽は2日間の真実を語らない。
・絵羽は日記を書いたらしいが、結局公表されることはない(本当にある?)
・戦人は生きている。
・戦人は六軒島のことを覚えているが、真実を探す縁寿には会わない。
・戦人は幾子と共に六軒島に関する偽書を数多く執筆している。
・縁寿と戦人は数十年後に出会う。

幾子=ヤスっぽいですよね、人嫌いで金持ち云々なところとか、ラストのシーンとか。
でもってよく解らないのは戦人が縁寿に会わない理由。ep8は真実を知ることをゲームマスター(書き手)として諦めさせようと努力していますが、現実(?)世界でも真実を探す縁寿には会わず、真実の探求を諦めた後(冒険作家になった後)に会うのはどういう理由があるんでしょうか、本当に縁寿が名前を変えたからわからなかっただけ…の美談なんでしょうかね、と戦人が悪人に見えるわけです(犯人・共犯かは別として暴かれるとまずい事実がある?偽書を書きまくったのはそのせい?)

愛がありませんね。

ちなみに音楽は"The end of the world"がつぼです。