冒頭

ひぐらし再開。
毎回最初に出てくるFrederica Bernkastelって何者?
とよく読んでみるとFrederica⇒フレデリカ⇒古手梨花、なるほどね。んじゃBernkastelって何者?という話になるけどそのヒントは暇潰しにありそう。とにかく毎回概略を表してるOPの言葉だけど今回は自分の考えの裏づけっぽい気がして注目。

井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外に何も興味がなかったから。

井の中の蛙は幸せでした。
井戸の外で何があっても関係がなかったから。

そしてあなたも幸せでした。
井戸の外でなにがあったか知らなかったから。

私は祭り後の惨劇(個別案件)と祭り前の惨劇(全体案件)は別の案件であり、前者は各シナリオで個々に違うが、後者は全編に統一して起きていると考えています。でもってひぐらし最大の謎は後者にあるとも考えています、ちなみに富竹&鷹野も後者ですね、前者はほとんど圭一がらみ。もちろん互いに何らかの影響を与えているとは思いますが(主に後者が前者に)、今回の冒頭はまさにそのことを表しているのではないかと。
井戸の中はプレイヤーの見る(圭一の見る)世界、そして井戸の外こそ雛見沢で起きている共通の案件、そういう風にしか捉えられません。祟殺しのラストを見ると、圭一が知らないことが沢山出てきます、例えを上げると雛見沢大災害による集落全滅・古手梨花の惨殺・入江の死・大石の失踪、ここいらは圭一の全く関与しないところで起きている事件(井戸の外)でしょう。しかもこれらの事件は結局圭一に関係ないんですよね、直接的に。ひぐらしという作品においてこの井戸の外で何がおきたかを推測するのが重要な気がする。もっとはっきり言えば解答編の話は井戸の外の話でしょう、そうとしか考えられない。